苦手な人との付き合い方
皆さんの職場は、どんな環境でしょうか?
周囲に、明るく、親切な、気の合う仲間がたくさんいる
人間関係が良好な職場でしょうか?
または、
自分のやることにいちいち文句を言われたり、
攻撃的であったり、価値観がどうしても合わない人が
身近にいて、人間関係がむつかしい職場でしょうか?
もしかしたら、後者の割合の方が多いかもしれません。
統計データでも、
「職場の人間関係がむつかしい」が84%を占めるようなケースや、
転職の理由において『人間関係』が上位に来るケースがあるようです(リンク)。
そういう意味では、皆さんと同じように
大勢の方が悩んでいるのかもしれません。
人の悩みの9割は人間関係
心理学者のアルフレッド・アドラーは
人の悩みの9割は人間関係であると断言しています。
確かに、
どんなに好きな仕事でも、
どんなにやりがいがあり、高尚な仕事でも、
どんなに小さい時からやりたかった、憧れの仕事でも、
身近な職場の人間関係が悪ければ、
続けることがむつかしいかもしれません。
逆に、どんな仕事内容でも、
人間関係が良好であれば、続けることができるのかもしれません。
私自身、学生時代からあこがれていた仕事に
本当に運よく就くことができました。
とてもやりたかった仕事なので、
配属当初は、
どんなにきつい仕事でも、
どんなにむつかしい仕事でも、
なんとか喰らいついてやり切ろう!
と意気込んでいました。
ところが、配属された部署に大変厳しい先輩がいました。
当時、私自身が力不足でした。
また考えが青臭く、薄っぺらに思われたのかもしれません。
ボロボロになるまで叱咤され、時にはげんこつが飛んできました。
提出した書類は真っ赤っかに修正され、
目の前で書類を破られたこともあります。
帰宅途中の駅で座り込んでいるところを
同期に「どうしたの?」と声をかけられたり、
意識がもうろうとして
どうやって家に帰ったのかわからないこともありました。
仕事は、うまくいかず、会社に行くのが辛い。
日曜日のサザエさんが、
「明日会社に行かねばならぬ」というサインで本当に恐怖でした。
やりたかった仕事で、
それなりに覚悟をしていたはずなのに、
本当に情けなく感じ、辛い経験でした。
それでは、仏教ではどう考えるのでしょうか?
怨憎会苦(おんぞうえく)
仏教では、生きることは苦しみであり、
その代表に四苦八苦として、八つの苦しみが挙げられています。
その中の一つに「怨憎会苦」があり、
『自分が怨んだり憎んだりしている人とも会わなければならない苦しみ』という意味です。
お釈迦様も、我々と同じように
苦手な人との付き合い方を
重大な苦しみとして認識されていたということです。
仏教では、その苦しみを取り除くために
自分を変容していくことが説かれています。
我々は他人を変えることはできません。
苦手だと感じてる自分自身を変えること以外にその対処法はない、
ということになります。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P10
もしかしたら苦手な人を、
恨めしく思ったり、怒りを感じたり、
排除しようとしてしまうかもしれません。
もしかしたら「何くそ!」と反発心をもって、
より攻撃的な態度をとってしまうかもしれません。
が、恨みや、怒りは、そこに固執したり、
反発している限りは解決せず、
その気持ちを捨てない限り、解決することがない、と説かれています。
「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈悲によって消え去るものである」
サンフランシスコ講和会議 スリランカ代表のジャヤワルダナ氏
関連する代表的な事例として
有名なサンフランシスコ講和会議でのジャヤワルダナ氏の言葉があります。
サンフランシスコ講和会議は、
第二次世界大戦の日本の戦争責任を問う会議で、
当時、連合国側の思惑が錯綜し、例えばソ連が日本の分割統治を要求するなど、
日本に対していかなる制裁措置を取るかで議論は紛糾していたそうです。
そのような中、ジャヤワルダナ氏は、
仏陀の言葉を引用して国家間の礼節と寛容を説いた上で、
上記の言葉を発言され、会議の流れを一変させたそうです。
我々日本の大きな危機を救ってくれた事件でもあります。
まとめ
我々の悩みはほとんどが人間関係であり、
職場で苦手な人に悩む人は多いと思います。
場合によっては、決定的に価値観が合わず、
どうしても折り合いがつかないケースもあると思います。
それはどうしようもないので「君子危うきに近寄らず」。
ただ、苦手な人がいたら、
まずは感情に振り回されず
冷静になって、
「なぜ自分はこの人が苦手なのか?」を
自身に問うてみてもよいかもしれません。
もしかしたら、
自分の弱点、もしくは固執しているを指摘してくれている
自分を見直す機会を与えてくれる
貴重な先生なのかもしれません。
人は、自分自身が固執しない点を
指摘されてもなんとも思わないはずです。
容姿に固執しない人は、
容姿をいじられてもなんとも思わない。
お金に固執しない人は、
稼ぎが少ないことを指摘されても気にならない。
学歴に固執しない人は、
学歴が話題になっても、気にならないはずです。
逆に、
自分自身が「正しい」と固執していることによって
反対されると苦手に感じてしまう。
自分が弱点に感じているところを指摘されると
嫌な気分になってしまう。
大変むつかしいことかもしれませんが、
そういった固執、弱点を
自分自身が手放すことによって、
苦手な人が少しずつ減ってきて、
周りがよい人が増えていく。
最終的には、
現在の自分自身の置かれた環境に
まるまる感謝して
幸せに生きていくことができる。
共にそういった人生を歩んでいきましょう。
南無阿弥陀仏