気になる他人の目
皆さんは、他人に自分がどう思われるか気になりますか?
私は、ふとしたときに人の目を気にしている
自分に気が付くことがあります。
いや、よくよく考えると、
常に他人の目を気にしている様にも感じます。
基本的には、
人に
「良い人」、「かっこいい人」
だと思われたいですし
できれば、
「バカだと思われたくない」
願わくは、
「できるヤツだと思われたい」
会社員だと、嫌でも査定があり、
仕事上、他人と比較され、
自分が会社(上司)にどう評価されているのかが
如実に表れてきます。
評価自体は、他者と大した違いないかもしれませんし、
絶対的な人間の価値を評価するものではありませんが、
どうしても気になってしまう。
気にしなくてもいいとはわかっていても
気になってしまう。
悲しい人間の性のようにも感じます。
会社は、同業他社と競争していて、
社内においても、
その他社との競争に勝ち抜くために、
より多くの成果を出すために、
評価を通じて、
競争を促している面があると考えられます。
また会社に限らず、
我々は、小さい時から、
受験、就職をうまく勝ち抜くことに、
すなわち、
他人と自分を比較し、
他人に対して自分が優位であることに価値がある、
他人との競争に勝つことに価値がある、
とずっと刷り込まれている様にも感じます。
いわゆる世間体。
一方で、そういう会社や、
社会のシステム、メカニズムに基づいた
他人と比較する価値観に、
我々は引きずられすぎていないでしょうか。
他人の評価が気になる
他人から褒められると嬉しくなり、
他人との比較が良くないと感じつつも、
どうしても他人の評価を気にしてしまう。
また一方で、
自分が他人を評価していることもあります。
「あの人はできる人だな」
「あんな風に自分はできないな」
もしくは
「あの人、全然だめだな」
「あの人よりは自分の方がましかな」
他人の評価に一喜一憂したり、
他人に対して優越感や劣等感を感じたり、
または、
他人に対して、自分と比較して
良し悪しの評価をしてしまっている自分。
もしかしたらあなたの周囲にいる人でも、
「〇〇さんはすごいですね」
「〇〇さんはだめですね」
と比較して、
評価をしている人がいるかもしれません。
自分がよく言われると気持ちよくなって
その人の印象が良くなるかもしれませんが、
少し注意した方がよいかもしれません。
他人に対して、
優位になっているのであればよいこと、
と思われるかもしれませんが、
優位だろうが、劣っていようが、
他人と比較する自体が、
少し”危ない考え方”かもしれません。
それでは、仏教ではどのように考えるのでしょうか。
ブッダの言葉
他人の間違いに目を向けるな。
他人がした事、しなかった事に目を向けるな。
ただ自分がやった事、やらなかった事だけを見つめよ。
ブッダの真理のことば(50)
他人から褒められてうれしくても、
他人に対して優越感を感じても、
他人からどう思われるかを気にして、
他人の評価軸で生きている限り、
幸せになることは難しい。
他人の自分への評価を気にしている暇はない。
また、他人がやっていることを気にしている暇もない。
もっと自分にフォーカスして、
自分がやるべきことだけを集中してやりなさい。
そんなお釈迦様からのエールに聞こえます。
世の人は 我を何とも言わば言え
我なす事は 我のみぞ知る
坂本龍馬
こちらも、有名な坂本龍馬の言葉です。
私は、この言葉が好きで、
くじけそうなときは、この言葉に励まされてきました。
夢に挑戦しない人のほうがよっぽど大バカ者だ
アラン・ロベール(Alain Robert)
世界中の高層ビルを命綱無しで登るアラン・ロベールさんの言葉です。
周囲の人から
「なんでそんな危ないことをするんだ!」
「大バカものだ!」と言われ続けながらも、
逆に、バカにする周囲の人へ向かって、
「なぜ他人の夢をバカにするんだ?」
「夢に挑戦しない方が大バカ者だ!」
と一蹴しています。
一歩踏み出す勇気をもらえます。
人間だもの
とはいっても、
人と比べてしまったり、
他人を責めてしまうのが人間。
ただ、その価値観の先に幸せはない。
なので、少なくとも、
他人のことが気になったり、
他人の評価軸で考えている自分がいたら、
「あぶない、あぶない、ダークフォースに堕ちかかってた、、、」
と早く気が付いて、
自分がやるべきことをしっかりと見定めて、
自分の頭と気持ちを方向修正する訓練を続ける。
そうすれば、大きな過ちに陥りにくくなるかもしれません。
共に、訓練しましょう!
南無阿弥陀仏