他人の欠点が気になる人へ 自分の含め人間はみんな欠点だらけに気づきましょう!

部下や、同僚や、上司の欠点がどうしても気になってしまう
特に上司の方は、部下の欠点が目に付いて、
部下のためを思って、アドバイスをしたくなるでしょう
組織として成果を最大化するためには、当然のことと思います

が、行き過ぎると、周囲から煙たられるかもしれませんし
自分自身もしんどく感じるかもしれません
特に部下は、都合が悪いことは上司のあなたには言ってくれません
「ありがとうございます」と言いながら、
あなたとの距離を取るために、
少しづつ後ずさりしている可能性があります
あなたにピンチが訪れたとき、
あなたは独りぼっちになっている可能性があります

この記事を読めば、
なぜ自分が他者の欠点が気になるのか
他者がどうしてそういう行動をとるのか理解でき、
他者の欠点が気にならなくなります

仏教(浄土真宗)では、
どんな成功者も、どんな立派な人も、
纏っているものを、一つずつはぎ取っていけば、
その本質は、自分中心、自分勝手で利己的な「悪人」である
と説きます
自分を含めて、全員が、自己中心的な「悪人である」と
キチンと理解することが肝要です

では、仏教ではなぜ人間を「悪人」と説くのか
一緒に考えてみましょう

人間の本質とは何か

人間がどんな存在なのか、改めて考えてみます
世の中には、いろんな人がいます
ハンサムな人、ブサイクな人
格好良い人、格好悪い人
社会で成功している人、失敗している人
お金持ち、貧乏、などなど

色んな人がいますが、
着飾っている服を一枚づつ剥いで、
今いる社会的地位を除いて、
裸一貫になって、
その人が考えていることは何でしょうか?

もっと地位が欲しい
もっと財が欲しい
もっと異性が欲しい
もっと認められたい

みんな、同じことを考えてないでしょうか
仮にひとたびその欲求が得られれば、
その次、その次、と、その欲には際限がない
まさに欲の塊

自分に余裕があるときは
他者に優しく接することができるかもしれませんが
もし自分が追い込まれたとき、
その本能が、表にでてきて、
自分の思い通りに欲求が満たされないときは、
ときに怒り、身近な家族、兄弟とでさえ争いに発展することもある
これは、普段良い人間で、
追い込まれたら悪い人間になるのではなく
元々自分が持っているものが、
追い込まれたことによって表に出てきただけ

その様に考えると、
改めて自分の胸に手を当てて考えると、
人間誰しも
自分中心、利己的、自分勝手な「悪人」であるとしか言えない
ということになります

なぜ他人の欠点が気になるのか

そんな自分勝手な自分から他者を見れば、
自分の思い、考えと異なる他者の言動が「欠点」と見え
気になってきます

また同様に、あなたの言動も、
同じように自己中心な他者から見れば、
「欠点」として見えている可能性が十分にあります

自分中心の見方をする自分と他者が
自分と異なるところをお互いに「欠点」として非難しているだけ
結局は、お互いに自分の思い通りにしようとしているだけ

自分からみたら欠点がなく立派に見える人は
単に、自分に近い言動をしているに過ぎないのかもしれません

まとめ

他者の欠点がどうしても気になってしまう
これは、ある意味自然なことだと思います
が、行き過ぎると自分がしんどくなってしまい
最終的に、あなたは独りぼっちになってしまう懸念があります

突き詰めて考えれば、
人間の本質は、自分を含め、人間誰しも、
自分中心、利己的、自分勝手な「悪人」である
ことを学びました

他者の欠点は、
あくまでも、自分勝手な自分の目から見たときに
他者の自分と異なる部分が気になっているだけのことであり
本来気にすべきことではない
また同様に、自分自身も、他者の目からすれば
欠点だらけであることを自覚しなければならない

その様に考えれば、
他者の欠点を正そうとすることは
自分の思い通りに他者をコントロールしようとしている
懸念があることを自覚しておく必要もあります

自分中心の己であることを自覚して、
他者の欠点を非難するのではなく、
他者の良いところに、積極的にスポットを当てて、
他者のおかげで自分が存在できていることに
改めて感謝して、共に生きていきましょう!

南無阿弥陀仏

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