はじめまして、平日はサラリーマン、
休日は、名古屋市の西念寺というお寺で僧侶として活動している
サラリーマン僧侶の釈 慈雲(しゃく じうん)と申します。
仏教とは関係のない一般の家庭で育ち、
大学を卒業して一部上場企業へ就職しました。
子供の頃からあこがれていた仕事で、
やりがいがあり、ひたすら仕事に明け暮れていました。
定型的なモーレツ社員で、
当時の私は「神様に祈っているヒマがあったら仕事しろ!」
というタイプの人間でした。
「自分の道は自分自身で切り拓く!」と堅く信じていました。
ある意味、会社教の信者でした。
ただある頃から、自分自身の生き方に疑問を感じるようになりました。
とにかく、とても、しんどいのです。
仕事を一生懸命やればやるほど、仕事は増え、責任も重く、
かかわる人も多くなり、人間関係に悩むことも多くなりました。
また時代の変化も激しく、常に最新のトレンドを追い続ける毎日。
終わりがなく息苦しい。いつまでも経ってもキリがない。
まるでネズミの回し車。
確かにある一定のやりがい、達成感はあるものの、
本当に自分は今幸せなのか?と
疑問を感じるようになりました。
変化の激しい時代にこそ、変化をやみくもに追わない、
どっしりとした軸の様な、変わらないモノを大切にしたい、
そんなことを思っていた時に、ある記事に出会いました。
https://toyokeizai.net/articles/-/11877
これが、私の仏教の出会いでした。
この記事をきっかけに、仏教に興味を持ちはじめ
様々なご縁で仏教を学ぶ様になり、
その後、僧侶、教師(住職資格)へつながっていきました。
今こそ必要な教え
最近、華やかな世界で活躍するスポーツ選手、芸能人の方々の
ストレスに関する病が頻繁に話題になり、心が痛みます。
また人生100年と言われるような
リタイア後の長い老後の生活においても、
仕事以外のよりどころを持つことの大切さが、
ますます増している様に感じます。
我々は、ストレスの多い、生きることが難しい世の中で、
何をよりどころに、何のために生きるのか、を
時に、見失いそうになります。
その問いに、自分自身で答えを見つけることは大変困難です。
もしかしたら、不可能かもしれません。
その問いに対する答えは、
もしかしたら仏教にあるかもしれません。
私は、仏教を知るほど、困難な時代にこそ、
ますます仏教の教えが大切である様に感じています。
三賢人の一人であるお釈迦様が、
自分の隣にいてアドバイスをしてくれている、と
想像したら心強く感じませんか?
お寺との壁
一方で、お寺の生まれでない一般の方と
仏教やお寺との間には、かなり大きな壁がある様に感じます。
私も、最初はとても勇気がいりました。
お寺へ行ったら、強引な勧誘を受けて、
もしかしたら、法外なお金を請求されるのではないか?
怪しいことを教えられたりして、
抜けられなくなるんじゃないか?などなど。
(全くの杞憂でしたが、、)
また、仏教に関して、いろんな誤解がある様にも感じます。
例えば、
お経は、亡くなった方に対してあげるものだと
一般に思われているかもしれませんが、
お経は、生きている時にこそ聞くべき、お釈迦様の教えです。
お寺と壁がある一方で、
実は、少なからず仏教に興味をもっている方が多い様にも感じます。
時々、僧侶の私よりも仏教に詳しい方がいらっしゃたりします。
「どうやったら、お坊さんになれるの?」
といった質問を、時々されたりもします。
また機会があれば、私の様にサラリーマンをしながら、
僧侶になる方法なども、いずれ紹介できたらと思います。
ただ、興味はあっても、
今すぐお寺へ行くのは難しいでしょうし、
もしお寺へいっても、
いきなりお経をあげたり、ご法話を聞いたり、
念仏を勧められても、
あまりにも基礎知識がないので、
ちんぷんかんぷんだったり、
逆に嫌になってしまうかもしれません。
それは、大変勿体ないです。
私自身は、現在、出家しているわけではなく、
ビジネスの世界にどっぷり浸っている、ごく普通のサラリーマンです。
サラリーマンであり、僧侶である自分が、
ビジネスと仏教の両視点で、
皆さんが、普段、職場で感じる問題に、
何らかの『気付き』が得られる一助になれれば幸いです。
これから、そんな記事をかけたらと思います。
また、今後将来的に、
様々な社会問題に対して、お寺でできることを考え、
一緒にアクションを起こしていける方を募集しています。
もしご興味がある方がいらっしゃれば、お気軽にお声かけて下さい。
よろしくお願いします!
南無阿弥陀仏